鯉のぼりの生産量日本一を誇る埼玉県加須市。この町で唯一、また全国的にも数少ない手描きの鯉のぼりを祖父の代から作り続けている橋本弥喜智商店。

制作途中の鯉のぼり
この店の三代目である橋本隆さんの作る鯉のぼりは、木綿の生地に顔料で色付けをするため耐久性に富み、太陽光にも色あせることがない。橋本弥喜智商店の鯉のぼりは、使えば使うほど味のある色合いになるため30年以上も愛用している人もいるという。 店内は昔ながらの木造日本家屋で、2階の作業場では数十種類の筆と色とりどりの顔料を使い、下書きなしのフリーハンドで描かれた色鮮やかな鯉のぼりが所狭しと並べられていた。(取材日:2005年10月6日)

加須市が鯉のぼりの産地として知られるようになった経緯を教えてください。
加須の鯉のぼりは、もともと明治初期のころに提灯や傘の職人が副業として作ったのが始まりです。店は、お雛様など季節の際のものを扱うという意味から"際物屋"と呼ばれるようになりました。大正12年(1923年)の関東大震災によって東京近郊の際物屋が激減してしまい、仕方がないので浅草橋の問屋さんが加須の際物屋まで仕入れに来たら「加須の鯉のぼりは質がいい」と評判になったそうです。それから注文が殺到するようになり、加須の際物屋は皆、鯉のぼりだけを専門に作るようになりました。そのころ加須には40件もの際物屋が立ち並んでいたのですが、ウチも含め全てのお店がまだ手描きでしたので、夏も冬も作った鯉のぼりが外に干してあって、文字通り「鯉のぼりの町」という感じでした。
昭和8年(1933年)に今の明仁天皇がお生まれになったとき、祖父の弥喜智がウチの鯉のぼりを皇室に献上しました。
その40件の際物屋は、いつごろ手描きをやめてしまったのですか?
橋本 隆氏
橋本 隆氏
橋本氏

東京オリンピックの年(昭和39年・1964年)くらいでしょうか。戦後開発された「ナイロン生地にプリントする」というやり方が増えてきたんですよ。この方法は大量生産ができるし、当時は「新素材」ということで値段も高かったのですが、お客さんはその宣伝文句に惹かれてよく買っておられました。それに比べ、木綿は日常生活の中で当たり前のように使われていた生地でしたからナイロン生地のような目新しさもなく、手描きの鯉のぼりを問屋さんに持っていくと「やっと手描きを売り終わったのに、また持ってきたのか」と文句を言われたこともありました。
皆さんがプリント制作に流れていく中で、なぜ橋本さんは手描きにこだわったのですか?
橋本氏

実は、ウチも手描きだけじゃ商売にならないからプリントにしようと思いまして、型屋さんを呼んで、ウチで作っている手描きの鯉のぼりの型をとってもらおうとしたんです。
そうしたら「お断りします」と言われたので理由を聞くと、「このデザインはプリントじゃ表現できませんので、新たにプリント用のデザインを作らないといけません」と言われてしまったのです。

仕方がないのでプリント用のデザインをしてみたのですが、コンパスや定規などを使って描いていると、まったく面白くない塗り絵みたいなものが出来上がっちゃうんですよ。それでも食べていくためにはしょうがないと思い、みんなで「博物館に飾られても恥ずかしくない最高の手描き鯉のぼりを作って手描きは終わりにしよう」という話をしていたんです。

ちょうどそんな折、ある新聞社の若手記者から手描き鯉のぼりの取材をしたいと言われ、その記事が新聞に載ると、「手描きの鯉のぼりをあげたい」という方々からウチに電話がかかってくるようになりました。

ウチとしてはもう手描きをやめるつもりだったので、あまり在庫を作っておらず大変なことになりましたね。その年の最後のお客さんには、「もう品物がなくなってしまいました」とお伝えしたら、「今から作れ!」なんて怒られたりもしましたよ。そんなことがあったので、来年また「品物がありません」なんて状態になったらもっと大変なことになると怖くなりましてね。それ以来作り続けているわけです。つまり本当は、プリントでは作れなかった、というだけなんですけどね(笑)。

ただ、やはりプリントにすると大量に作ることはできますが、仕上がったものはみんな同じなんですよね。手描きは違いますよ。人の手で作ると常に進化したものができますし、それぞれの鯉に個性が出ます。これは機械では出せない、手描きならではの味だと思います。



鯉のぼりをデザインされる際、錦鯉の模様は参考にされることはありますか?
橋本氏

 鯉のぼりというのは、登竜門伝説※1の「龍になる直前の鯉」なので、現実の鯉や錦鯉そっくりにはならないのですが、大変参考にしています。残念ながら、ウチでは錦鯉を飼育していませんが、私自身鯉を見るのが好きなので、よく旅行先の公園や埼玉県水産試験場(埼玉県農林総合研究センター水産研究所のこと。かつて鰭長鯉を開発した)などに行っては眺めています。ゆったりと泳ぐ姿や、その綺麗な模様を眺めていると、「いつかこんなすばらしい鯉のぼりを作ってみたい」と思います。

実は、鯉の体型は鯉のぼりに最適なのですよ。鯉のぼりは、口と腹と尾の直径でどのように泳ぐかが決まるのですが、魚の中で最もバランスのいいのが鯉なんです。
私は、毎年5月に「ジャンボ鯉のぼり」という長さ110mもある鯉のぼりの設計をやっているのですが、さすがにこのサイズともなると重さも約650kgにもなります。ところが、これだけ大きくて重い鯉のぼりなのに風速3m/sから(木の枝がゆれるくらい)、理想は5〜7m/s(砂ぼこりがたつくらい)という決して強くない風でゆったりと泳ぐんです。これは鯉の形でなければできないことですね。

海外の方もお見えになったりするのですか?
橋本氏

はい、よくお見えになりますよ。海外の方は、大概初めて鯉のぼりを見るので、作業風景や完成品をとても興味深く見学されます。お土産に買われる方もいらっしゃいますが、日本と同じように外で揚げる方もいれば、室内でインテリアとして飾る方もいるようです。いずれにせよ、元の謂れが縁起のいいものですので、とても喜んでいただいてます。
錦鯉も海外で人気があって、英語表記もKoi」「Nishikigoiなんですよ
橋本氏

そうなんですか!?それは素晴らしいですね。日本の文化を表す言葉が、日本語のまま海外に受け入れられるというのは本当にすばらしいことだと思います。
先日、ある外国人観光客の方が鯉のぼりを見て、通訳の人に「これは何て言うんだ?」みたいなことを聞いていました。するとその通訳の人は「Carp Flag」と答えていたんです。でも鯉のぼりは旗じゃなく、あくまで鯉の「のぼり」です。ですから本当は、鯉のぼりも「Koinobori」と日本語のまま伝えていただきたいと思いました。
INPCでは、錦鯉を中心あるいは入り口として、広く世界の方々に日本の文化を紹介していこうと考えております。
錦鯉も鯉のぼりも同じ日本の文化ですから、無理をして当て字訳で英語表記する必要はないですよね。
では、そのように表記させていただきます。

橋本 隆さん経歴

橋本隆さん 明治時代より約100年続く際物屋、橋本弥喜智商店の三代目。
同氏が代表取締役を務める現・株式会社橋本弥喜智商店は
埼玉県指定第1号伝統工芸モデル工場で、天皇陛下献上鯉のぼり製造元

株式会社 橋本弥喜智商店
〒347-0056埼玉県加須市土手1-12-12
TEL:0480−61−0371・FAX:0480−62−41

鯉のぼり
端午の節句である5月5日(日本では「こどもの日」という祝日)に、
子供の健康と出世を願い、家庭の庭先に揚げられる鯉の形を模したのぼり。
登竜門伝説※1に因む。
※1登竜門伝説
中国の故事に由来する。
「竜門」とは、中国黄河中流の急流を登った鯉が龍に化ける(出世する)
いう言い伝えによるもの。転じて立身出世の関門という意味。